蕎麦みわ

2013年08月20日

宮沢賢治への旅  1

宮沢賢治に始めて出会ったのは、ご多分にもれず「雨ニモマケズ」
であった。そこに表れている無私、無欲、人助けの精神は俗物で
あった私を大いに刺激し「ソウイウモノニ ワタシハナリタイ」
と思わせた。「風の又三郎」や「注文の多い料理店」、「猫の
事務所」、「土神と狐」、「よだかの星」、「セロ弾きのゴーシュ」
「ひかりの素足」、「銀河鉄道の夜」等を読み進むにつれ、賢治には
自然を受け入れる独特な感性と、確たる思想性をもっている事が
理解出来た。また賢治は化学、地質学に精通していた。一方、
国粋主義的宗教団体「国柱会」の熱心な信奉者でもあった。
これら重層する賢治の全体像とは何なのか?この疑問を解く鍵
を求めて、岩手を訪ねてみる事にした。

けらをまとひおれを見るその農夫
ほんとうにおれが見えるのか 「春と修羅」より


この像は「種山が原 星座の森」の管理事務所の前にある。
おそらく[風の...」または「高田...」の像であろうが、何の表記もない。

右上に見える白い建物が種山「物見山」山頂です。


もうすでに牧草は枯れていて、放牧されている筈の牛馬
の姿はありません。「種山が原」を含む北上山地は準
隆起平原と呼ばれ、たおやかな稜線をもつ老年期の山
である。賢治がこの地を訪れた頃は牛馬の放牧は行われ
ていたが、未開墾の地であり、賢治は厳しい藪漕ぎを
強いられたようである。
また特に夏の気象は「やませ」の影響を受けやすく
急激な変化をもたらす事も多かったようである。
これは「種山が原」や「風の又三郎」にも描かれて
いる。この急激な天気の変化は現実と幻想の交錯と
なって作品にめくるめく変容を与えている。
私達が訪れた日は穏やかな晴天に恵まれ、静かな
キャンプ場でのテント泊となった。よるは岩の上に
寝転んで、星や時折現れるペルセウス座流星を見て
楽しんだ。



今日は花巻市に移動し、賢治ゆかりの地をたずねる。
まず行ったのは、県立花巻農業高校裏手にある「羅須地人協会」
の保存建物である。この家は宮沢家の別宅として建てられ、
妹トシ子がその死の直前迄療養施設として使用していたもので
ある。賢治は花巻農学校を辞し、ここで独居生活に入る。
付近の荒地を開墾する等して、田畑を開き、農業を始めた。
それと共に、近隣の若い農業者や農学校の卒業生等とともに
農民芸術運動を目指して「羅須地人協会」を設立したと言われ
ている。賢治はここで、農民達に農業技術だけでなく、エスペ
ラント語、レコード鑑賞、やオルガンやチェロ等を使った楽団
演奏の練習をしたとされている。
ここは、今私達が賢治を偲ぶ事が出来る唯一の場所である

ここは有名な宮沢賢治記念館です。
入り口には「猫の事務所」があるが、肝心のかま猫はいない
ようである。館内は撮影禁止となっている。
この記念館には自筆原稿や、チェロ、友人の写真や手紙、
ビデオやスライド等もあって、かなり充実した展示となっている
さすがに、賢治研究の第一人者、天沢退二郎、入沢康夫氏の
監修だけのことはあって、とても見応えのあるものとなって
いる。近くにある、宮沢賢治童話村にも寄ってみたが、ここは
アトラクション施設である。

こちらは賢治が教師時代に良く通ったとされるわんこそば
やぶ屋さんです。元祖わんこそばを自称し、ご飯ものも会
席料理もある大きなそば屋さんです。わんこそばは3,150
円で2人前からという事で、時間のあまり無い私達はざる
そばと賢治が好んだという天ぷらそばを注文した。
そばは機会打ちで、東京にはどこにでもあるふつうのそば
で、味は殆どしない。天ぷらそばの汁はまあまあおいしい。
ちなみに、賢治は何時も天ぷらそばとサイダーを注文した
ということである。

花巻から盛岡に移動し、盛岡駅前のビル2階にある焼肉
と冷麺の店[盛楼閣」にやって来ました。店の前には入店
待ちの人が何人かいましたが、順番待ちの表に名前を書
くと3組目でラッキーであった。10分程で店に入る事
が出来ました。店は外見からは想像出来ないくらい広く
100人以上は入れそうです。冷麺を注文し、待つ事しばし
目の前を通る若い店員さんはアルバイトと思えるが、テキ
パキと仕事をしていて気持ちがよい。冷麺が来ました。
見た目もグッド。面は少々固いが、全体のバランスが良い
スープ、肉、玉子、カクテキ(さいころ状ではない)
スイカ、なかなかおいしい。辛さを普通で注文したが
辛口の方が良かったようだ。

 
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